私が「日本語教育能力検定試験」を受けた理由(1)
2018年の7月中旬。
私は「日本語教育能力検定試験」を受けることを決意した。
私はチェコの小さな町に住んでいて、日本語教師も周りにいなければ「日本語教師養成講座」なんてものも受けられる環境ではなかった。しかしそれでも、どうしても、その年の10月に行われるこの試験に合格しなければならなかった。
当時同棲していたチェコ人の優しさに甘え、彼のマンションで家賃も光熱費も払わずのうのうと生きていた私の人生は、ある日を境にがらりと変わった。
静かで平凡な海原に、突如見たこともない嵐が襲いかかってきたのだ。
あれから約2年が経った今、私はそのチェコ人と別れて1人で荷物を抱えてプラハへ引っ越し、狭くて古いワンルームで「フリーランスの日本語教師」として生計を立てている。
今回は、そんな私の、短くて壮絶な日本語教師人生について、少し振り返ってみようと思う。
少し遡り、2018年の4月。
チェコの日系企業を2年ほどで退職し、チェコの小さな町の役所で個人事業主登録をした。日本語教師になるためだ。
高校生の頃に出会った「日本人が知らない日本語」という漫画がきっかけで日本語教育に興味を持ち、それから大学進学後も「言語学」や「日本語教諭論」などを積極的に履修した。留学生との会話ボランティアなどにも参加した。日本語教師になるのは、いつのまにか私の立派な夢になっていた。
しかし、大学教授から「日本語教師はお勧めできない。給与も低いし待遇も悪い」と言わたことで、私はいったん夢を諦めて一般企業に就職した。
それからまもなくチェコへ来て、運良く日系企業で働けることになっても、心のどこかで日本語教師に憧れていた。
だから私は、ここに来てようやく日本語教師として活動出来ることが心の底から嬉しかった。それが単なる思いつきだったとしても。
「日本語教師」という職業が、国家試験など特別な免許を必要としないことを知っていた。
私はチェコで個人事業主登録をしたあと、自宅でのんびり「日本語教室」を開業することにした。
簡単なホームページやチラシで町中に宣伝し、生徒さんは5、6名集まり、月謝5,000円(つまり月給3万円)で私は「日本語教師」になった気でいた。
仕事にやりがいを感じ、手作りのカードや教材を作って喜んでもらえるのが何より楽しかった。
時間はたっぷりあったから、私は夢中になってカードを作った。天職だと思った。
3ヶ月ほど経ち、教えることにも慣れてきた頃、ホームページを通じて1通のメールが届いた。
このメールによって、私はひどく苦しみ、経験したことのない悔しさを味わい、ぬるま湯で生きてきた自分自身の弱さを知る事になる。
それと同時に、このメールこそが私を強く成長させてくれた。
差出人は、チェコに住むフランス人からだった。
続く